年末年始とTwitterを眺めていて、楽しい/楽しくないというキーワードに遭遇し、なんとなくモヤモヤと考えながら数日を過ごしていたのだが、先ほど風呂に入りながらぼやっと考えている中で「楽しいことはどこからやってくるのか」という事に行き着いたので、備忘録としてちょっと書いておこうと思う。
仕事にしろ私生活にしろ、楽しくないことはやりたくないのが人間の根っこだと思うが、「やらなくてもいい事」と「やらないとまずい事」の判断というものがなかなか悩ましい。悩みどころとしては、他者との認識の乖離というものが挙げられる。
自分は「やらなくてもいい」と思っていても、周りがそう思っていなければ不評や反感、顰蹙などを頂戴し、「やらないとまずい」と思い込んでいるものが、実は周りから見るとどうでもよくて、なに一人で空回りしているんだろうなどと思われてしまったりなんてこともあろう。往々にしてその判断は結果論で正しい/正しくないが提示されるが、その結果自体に他者が絡んでいるということを忘れてはいけない。人は一人で生きているわけではないからね。
その上での話なのだが、じゃあ「やらないとまずい事」とどのようにして向き合うのか、というのがこの話の要点である。
ほっぽりだす/逃げ出すというのも立派な選択肢の一つだと思うが、概してその後が面倒になるケース(人間関係のごたごた、失職による就職活動の必要性、失注による収入の途絶...等々)も多い。だったらというわけではないが、「やらないとまずい事」は自分から楽しんじまえというのが現時点での僕なりの答えである。
楽しいことというのは、自分で楽しもうと思わないとなかなか手に入れることができなくて、雛のように口をパクパク開けて楽しみの方からやってくるのを待っていても、なかなか得られないのではないか。とも言えよう。
やりたくない仕事、行きたくない飲み会、会いたくないあの人、考えたくないあのこと。楽しくないけどやらないとまずい事に直面した時、「まー、しゃーない。やるか」といって向き合って、「どうせなら楽しむか」って念じるだけで、ちょっとは見える世界も変わるんじゃないの?と思うわけです。
経験とか周辺とかを棚卸すると「楽しくない」って感想を持つときは、向き合う前から楽しくないと思っていることが多いように思うのですね。で、向き合うときも楽しもうと思わない。
楽しくないことを自分で楽しめるかどうかってのが、むしろ楽しいことを引き寄せるんじゃないのかなぁ等と、とりとめもなく考えたのであります。
わかるわ。
返信削除そしてわかりやすいわ。