~謡曲「殺生石」より~
「僕はゲイなんです」
今までこの一言を発する度に様々な反応が返ってきたものだが、今回の相手は暫し何かを思い返すような顔つきをしたかと思ったら、合点のいった顔でひとしきり笑い、すっと真面目な顔になって深々と頭を下げつつ「いろいろごめんなさい」と謝った。
私は化学系の中小企業に勤務する営業職である。自社の開発した薬剤を工場等に売り込むのが仕事で、既存の顧客先を回りながら、少しずつ新規開拓を行う毎日である。
昨年の冬。仕事中に怪我をした父の具合が思わしくなく、母だけではなかなか面倒も見切れないということで急に実家に帰ることになったのだが、運良く地元企業の中途採用の募集広告を見つけ、これはと飛び込んでみたところすんなり採用されたのがこの春のことであった。
入社後、1ヶ月ぐらいは取引先の引継ぎを受けるということで退職予定の先輩に同行してもらっていたが、程なく先輩は退職し気がつけば一人で営業をしている身となった次第である。
そして秋。
仕事にも慣れてきて、そこそこ新規開拓の結果なども出始めたころ、社長と副社長の夫婦に会議室に呼ばれた。何事かと思っていると、とある営業所への異動の打診であった。
営業所が自宅から車で通える範囲だったので、まぁ、それはそれかと思い異動を承諾したのだが、その後、異動先の営業所についての噂話を聞くこととなった。
この営業所はいわくつきの女性社員がいるということで社内では有名であったのである。この女性社員はもともとは本社の経理担当だったそうだが、社内で複数人との関係を持ち、挙句、関係を持った人たちを通じて、仕事上のあれやこれやに発言権を大きくした為、副社長の逆鱗に触れてしまい、強引に作った営業所に島流し同然で異動になったという噂である。副社長はすぐ辞めるとふんで異動にしたらしいが、まったく辞める気配もなく気がつけば1年以上経過しているとの予備情報まで付いてきた。
副社長が面接のときにずっと憮然とした表情をしていたのはこの噂が理由だったのかと後から知ったものである。とはいえ、私の異動自体は実は大変意味のあることであった。その営業所の担当するエリアにおいて、自治体が誘致を進めていた某大企業の工場の稼動時期が明確化したのと同時に、偶然にもその付近で競合他社が押さえていた企業から急に調達先を見直したいので詳しくサンプル等を確認したいという依頼があったのである。島流し先が一転して重要営業拠点となりうるという話なのだから面白いものだ。
さて異動である。初めてその営業所に行った時、副社長の怒りもかくやと思うような殺風景な部屋にぽつねんと件の女性社員が座っていた。挨拶をしていろいろ打ち合わせようとした際、それに気づいた。
制服を着ていないのはまだ良いとして、あまりにも扇情的な格好をしているのだ。年の頃は40代後半だと思うのだが、メンテナンスを怠っていないことを全身で表している。なんというか絡みつくような色気があるのだ。また、これは一緒に仕事をするようになってわかったことだが、彼女の仕事の手際は実に鮮やかであった。もともと経理担当だったはずだが、営業事務や法務関連もしっかりサポートしてもらい、むしろ彼女から仕事を教わることの方が多かったように思う。
しかし、自意識過剰と言われても良いので敢えて言うが、私は幾度となく男と女の関係として誘われた。それはなかなかに直接的な誘われ方で、なんと積極的なものかと思ったが、今まで受けた誰からの誘いよりも上品であった。
そのような状況で1ヶ月ほど経ったある日。仕事の後に食事に誘われた。そこでぽつりぽつりとお互いの話をし始めたのだが、私に彼女がいるのかいなのかという話が熱を帯びそうになった際、少なくない量の酒と聞いていた噂も後押しし、普段滅多に公言しない私事を告白することになった。
私に深々と頭を下げた後、彼女は自分の身の上話を始めた。
彼女は、離婚と同時に前に勤務していた会社を辞め、今の会社に採用された後、営業部の課長を本気で好きになり交際を重ねていたそうだ。同じ会社の人間なので、普段の会話でも会社の話が出ることが多かったのだが、自分がなんとなく言った愚痴や不満に対して課長が仕事上で過剰に反応するようになった時、彼女は別れを切り出したそうである。そこで課長が豹変したそうだ。課長は営業面では成果を出していたため、経営層としても判断に悩むところもあったらしいが、副社長の一声で彼女の営業所送りが決まり、今に至ったそうである。どうも社内で噂を流したのは課長本人らしいとも聞いた。
その上で、彼女は私のことを副社長が何やら企てて送り込んできた社員だと疑っていたそうである。そこまでやるならば、だったら本気で篭絡してやるという半ば意地のような感覚で私に迫っていたとの話を聞いて、彼女の経緯や副社長との関係などとについて、あまりの事態のばかばかしさに悲しいやら情けないやらと複雑な気持ちでいたところ、彼女は再度謝った上で「私のことは気にしないで」と言った。
「恋愛なんて本人同士の問題だし、それを周りがどう受け取るのも結局は本人達の所為なのよ」
未だにパートナーにめぐり合っていない私にとっては、なかなか理解しがたい部分もあったが、彼女の表情は妙にさっぱりとしており、なんというか達観のようなものを感じた。
その後、泥酔した私が、これまでの自分が受けてきた偏見のあれやこれやを披露し、何故良いパートナーに巡りあえないのかということについて、半ば泣きながら話し続けたという部分は割愛させていただく。
翌日から、私たちは仕事でのパートナーだった。
その年度。
私たちの営業所は社内の誰もが予想しないだけの成果を上げた。
(了)
※この物語はフィクションです。
参考
裏話:ショートストーリー『殺生石』
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