世阿弥は、12~13歳ぐらいの少年の舞台は、その姿や声そのものが幽玄を表していると解く一方で、それはその時だけの「時分の花」であり、本物の花ではないと警告もしています。
少し歳を取り、17~18歳になると、変声期などの所為でこの時分の花を失うため、その上で、しっかりとした稽古を着実に積み重ねるように述べ、以下の如く覚悟を持つように解きます。
心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし
そして、24~25歳ぐらいの頃になると姿や声が一人前になり、舞台が若々しく上手に見えてくるようになると、若手の芸の目新しさから、名人の舞台にも勝つようなことが起きて大いに慢心するようなことを指し、強く自戒するように述べています。
されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり
機会があったら、是非、原文を読んでみていただきたいのですが、本書を読み返せば読み返すほど、芸とビジネスは似通っているように思うのです。
10代後半から20代前半というのは、まさに「時分の花」で評価されていることを、本当の花と勘違いしてしまうことが往々にしてあると思います。新人だから会ってくれた。応援する意味で発注してくれた。起業したら驚かれた。後輩から凄いと言ってもらえた。等々、様々なシーンで誤解をし、そして慢心をしてしまうのだと思います。
今、自分が受けている評価が「時分の花」なのか「本当の花」なのか、しっかり見極められるようになるかどうかが、30代以降に効いてくるんじゃないかなぁと思うのですね。